—————-“医者から外資コンサル、そして、医療ベンチャーファンドに転職したいと思っています” (T元M子28歳 ) - 医者から外資コンサルへ-空気麻酔にマウスを放り込み、気絶したマウスの頭部をはさみでチョキン。 続いてサルの脳髄をすりつぶし、シャーレに入れて栄養素を与えたりもする。軽く昼食をとった後、献体されたホルマリン漬けの人体を、数ヶ月かけて隅々まで解剖する。 数千回に上る地味で単調な実験の後、“細胞が成長する薬を発見する”のが6年間で最大の喜びであった。 米国東部の名門女子大学、ウェルズリー大学で生物化学を学んだM子は、オルブライト、ヒラリーを輩出したハーバード女子大とも称される東部の名門大学で学部時代を過ごす。 議員、バンカーを父に持つ同級生は皆、ウォールストリートを目指した。しかし当時、生物化学を研究するM子は、同級生と異なり、医療分野でのキャリアに興味を強めていた。 ところがM子が出会った日本の医学部の実態は、自身が狭いと感じたウェルズリーに輪を掛けて狭小な、“リスクをとらない同質学生”の集団であった。 6年に及ぶ医療研修と、これまた地味な将棋サークルでの生活が過ぎた今、M子氏がレジュメを送るのは、慈恵医大でも慶応病院でもなく、外資系戦略コンサルファームであった。 保守的な医学部生たち-過去のレールが、未来のレールにガッチリ固定 “あんたたち、もっとリスクをとりなさいよ”医学部の友人を思い起こして、T本は回想する。神谷町のベルギーバーで飲めないビールをちびちびのどに流し込みながら、医学部の閉塞感、安定志向の高さについて彼女は問題意識を投げかける。 大半が医者の子供で、給料自体は決して高くは無いが、その代わり絶対に解雇はない。M子が出会った医学部の学生は、性格的にも“過去のレールが将来のレールにしっかり固定された、腰の重い人”ばかりであった。 薄弱な志望動機―職業選択が不自由な、世襲制ドクター予備軍 思えば、私たちの社会の、“医者を志す動機”は薄弱なところが大きい。多くの欧米諸国では、医学部に入る前に、一年間本当に自分が何をしたいのかサバティカルリーブをとり世界旅行や奉仕活動で自分に向き合う。 結果として、医者への志望動機を述べる学生側の理由も、甚だ弱々しいものである。 “おばあさんが病気になって、直してあげたいと思って医者を志望しました、という”貧弱な志望動機“を言う人が、私の同窓生には非常に多い。 ざっと計算して、医者になるまであと二十年。御祖母様の御長命をお祈りする次第である。(ちなみに母校は医者の息子が多く、数多くの”無気力世襲型ドクター“のインタビューに大変助けになった。この場を借りて、級友に感謝したい。) 割りに会わない医療ビジネス-儲かってるのは美容外科だけ 東洋経済読者で、ビジネスワールドに染まっている方々は、きっと日ごろの医者がどのように割に合わないか、ご存知でないと思う。私たちの予想と異なり、数千万の授業料の果てに彼らが得ている生活は、決して羨ましくはない。 内科ではいくら働いても給料は変わらず、拘束時間は基本の12時間に加え、当直でいつでも呼び出される。深夜にかけつけ、吐血で瀕死のご老体に胃カメラをつっこみ、医療ホッチキスでバチンと止血。やっと終わったと思えば、“直腸から大出血”と緊急に呼び出され、“単に痔であった”と追い返されることも少なくない。 いくら粉骨砕身患者につくしても、世の中の見る目がますます厳しくなり、すぐに訴えられる危険と隣り合わせでもある。 前出のF.J氏は、“正直、いつもやめたい”と感じているという。“美容外科で年収4千万とかもらってる友人のO氏と違って、内科の俺は授業料の元とるのに二十年はかかる”と嘆息する。 さて、本題に戻るが、相談者のM子氏は現在、M子氏は現在、戦略コンサルに転進するか、医療のバックグランドを活かすべく、医療系の投資ファンドに入るか、そもそも医療の世界から飛び出していいものか、悩んでいる。 この状況に即し、私から以下のアドバイス/声援を送りたい。 あなただけではない - 医療業界から外資投資銀行/コンサルへの転出は、年々増加 私の知人は京都大学医学部を卒業後、二年の研修医を経て大手投資銀行に入ったが、現在ニューヨークで研修中で、大変幸せに暮らしている。日ごろから株式取引を趣味でやるうちに、本業よりもよっぽど生きがいを感じていたという。彼が有力中高一貫高校出身というのも転機を助けた。大学の友達はみな医者なため、他の世界を見せてくれないが、ゴールドマンやマッキンゼーに進んだ高校時代の友人が、彼を人事に引き合わせ、内定に至ったのだ。 また彼の医局の先生にいたっては、内科で胃腸を直す代わりに、ハリウッドで映画を製作しているし、医学部を出て研修医になった後、辞めて弁護士資格の勉強にいそしんでいる人もいる。 京大医学部からトレーダーに身を転じたケースも存在するし、脳神経外科を研究していた高校の友人が、今はクロスボーダーのM&Aを手がけていたりする。私がボランティア講師を務める外資系戦略コンサル/投資銀行面接対策セミナーにも、東大医学部、京大医学部の学生が多数参加している。 医者からの転身は、そこまでの投資コスト、期間が膨大なだけに、転進には心理的コストが高いであろう。しかし世襲でなく、自主的に医療を学び、そして自主的に合わないと思った貴方の判断は重い。 コンサルで出来ることの限界を知るべし-先に続くキャリアのために、出来ること/出来ないこと 戦略コンサルの次のステップとして、医療関連のベンチャー投資ファンドを志しているM子氏に対し、類似するキャリアパスを持つ外資セミナーアドバイザーの諸氏より、以下のアドバイスを頂いた。 東京大学で医療を学び、米系戦略コンサルから医療技術投資のファンドに参画した安東氏(仮名)は、 医療の世界からコンサルに飛び込むM子氏に、“コンサルだけではもう駄目で、それに何をくっつけるか。具体的には人とお金だ”と忠告する。 M子氏が最終的に志す医療技術ファンドの実態は、大抵資金力のない零細研究機関の技術への投資なので、コンサル能力だけでは不十分で、資金力と研究者の提供自体が必要なのだ。 志望者の中には戦略コンサルに入れば企業の問題をぱっと解決できるスーパーマンになれると思っている夢見る人々も多い。(実際、外資系戦略コンサル/投資銀行面接対策セミナーに参加する数百人の有力大学生も、漠然と“グローバルビジネスのプロになれる”という過大な期待を抱いている。) しかし実際、出来ることも多いが、出来ないことも明らかである。自分のキャリアというパズルの中で、どのピースがコンサルでうめることが出来るのか、イメージしてコンサルに臨む必要がある。 例えば、M子氏が最終的に目指す医療ベンチャーファンドは、“コンサル時代と違って本当に気の長い投資”である。 彼らの投資先は設立したての技術企業だったりするので、IPOやMAで投資先からエグジットするのに、最低4-5年は見る必要がある。(この点、3-6ヶ月で手離れする大企業向けのコンサルとは状況がかなり違う。) さらに、投資先企業には自分自身が取締役として参画し、自らその企業の出資者に対して説明責任を果たさなければならない。またエクイティに資金も投下しているので、株主の視点で企業価値向上の視点を養う必要がある。このような将来の役割に耐えられる自分を想像しながら、”医療ベンチャーファンドに繋がるファーストキャリアを送られることをお勧めしたい。 いつコンサルを離れるか- 専門家と、ジェネラリストとしてのバランス-MBAが2年で終わり、コンサルも数年で“卒業”する理由 最期に、安東氏は、コンサルを二年で離れ、医療ベンチャーファンドに移った理由として、“専門性とジェネラル性のバランス”を重要なキーワードとしてあげる。 安東氏自身はコンサルに入って、多様な会社のマネジメントを経験した。専門性を伸ばす既知の医療/薬品分野より、全く畑違いの鉄工所や造船のプロジェクトが一番勉強になったという。2年間で様々な、何の土地勘も無い“場違いプロジェクト”を経験し、会社のマネジメントが普遍的にどのようなものか勘所をつかんだ。そして氏は、次の伸び白は、ジェネラリストとしての成長ではなく、専門性を深める方向に自分をベットすべきだと感じた。 この意味でコンサルで働くというのは、MBAに留学するのに感覚的に近いものがあるのでは、と感じる。MBAが2年で終わるのと同じように、コンサルも数年で退職する人が多いのは、単なる偶然の一致ではない。(ちなみにコンサルでは、退職を社内で“卒業”と呼んでいる。 )ジェネラリストとしての成長は、集中的に数年学ぶことである程度成長曲線が低下する、ということである。 最期に: 貴方が6年にわたる医療業界への投資を活かすために 今回、多くの医師、弁護士、会計士をインタビューして再認識したのだが、T元氏のように、6年にわたる勉強への投資と、得がたき伝統的職業のキャリアを放棄するのは大変勇気のいることである。放棄した機会費用が非常に高いだけに、T元氏にはこの決断から高いリターンを得てもらいたい。 私は、日本銀行、官僚、伝統的大企業からコンサルに転職し、成功したケースも失敗したケースも見てきた。 成功したケースでは、コンサルを4年やり一人前になったあと、コンサルでは身につかない経営陣として実行に回る経験を、自身が好きな自動車業界で実現したケースである。 逆に失敗したケースといえば、二年ほどで大企業のマネジメント職を提示され身を移したのであるが、まだコンサルとしての能力も一人前でなく、かといって転職先の会社の商品を売れるわけでもなかったため、一年で再び転職するはめになったケースだ。 彼女はさらに転職を重ね、結局本来のキャリアを行かせる分野から、コンサル転職を介して益々遠のいていってしまった。 現在()才で年収( )万、しがない( )職で余生を送る羽目になってしまった。 童顔に見えてM子氏は28歳。将来の可能性だけでトップ企業に移れるのはあと数年しか残されていない。自身のコアである6年の医療キャリアを、上手く将来のキャリアに繋げて欲しい。 今回の一大転機が、貴方の趣味である詰め将棋で言う“意味ある一手”になるよう、ロングビジョンに合致した、コンサル生活を送られることを祈りたい。 |
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